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平成24年11月20日号社説 |
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人が成長する社会づくり
米国でオバマ大統領が再選され、二期八年にわたって政権を担うことになった。その長さと、日本の首相寿命の短さを比較して、何が違うのか考えさせられることが多い。一年に及ぶ米大統領選の経緯を見て感じるのは、候補者が選挙運動を通して鍛えられ、成長していくことだ。だから、オバマ大統領のように、予想外の候補者が注目を集め、支持を拡大していくことが可能になる。 一方、日本では一時勢いが見られ、支持率も高かった野田佳彦首相の失速感が著しい。国会の解散・総選挙をめぐるやり取りを見ても、政権維持と自分の選挙だけが関心事で、国のことは二の次という印象がぬぐえない。この国の不幸は、政治家が成長しないことではないだろうか。 人を育てる仕組み 問題は政治家だけでない。日本という国、日本人の社会が人を成長させないものになってしまったのではないかという疑問だ。会社でも行政でも非正規雇用が増えているのは、コスト削減のため人を使い捨てにしているからである。民主的な組合も、組合員の利益を守ることを優先させ、非組合員には冷淡である。 石原慎太郎氏などが中央官僚を批判するのも、それが既得権益の保護や現状維持を優先させ、地方や国全体の発展を阻害しているとの考えからだろう。絶対的権力は絶対的に腐敗すると言われるように、それは官民を問わず組織に伴いがちな弊害であり、人間のさがも言えよう。発展のためには、それを打ち破るような仕組みを作らなければならない。 かつて世界が注目した日本的経営では、会社は家族に擬せられ、終身雇用が保証された中で、子供が家庭で成長するように、会社の中で社員が成長するシステムが機能していた。地域社会においても、小さいころから祭りなどの共同体行事に参加することで、子供は大人に交わり、成長していった。そうした仕組みの基本には、無償の愛で人を育てる家庭というしっかりした基盤があった。 少子高齢化という人口構成の変化が、社会をそう変質させたという見方もあろう。しかし、最も問われなければならないのは、一人ひとりの成長への意欲であり、それは幸福感にかかわることでもある。資源や環境には限界はあるが、人間の成長には限界がないとして、自分自身に挑戦し続けるような生き方が評価されるべきだろう。 高齢化に伴い衰える人体機能も多いが、脳の成長には限界がないというのが近年の脳科学の知見である。しかも、実際に使われている脳は、ほんの数%に過ぎないという。認知症などによる脳機能障害を防げれば、脳は最後まで成長し続けるのである。 肉体が衰えるのもマイナスばかりではない。その分、いわゆる霊性の高まりが期待されるからである。それによって、肉体的衰えから来る幸福感の減少をカバーし、より高い時限の幸福へと生きる目標を設定することが可能になる。かつて、日本人の多くが高齢期になって宗教に目覚めたのもそのためだろう。 宗教の原点も、人間の成長への目覚めであった。死者を悼むことから、死を考え、生きる意味を問い始めたのが、思考を深化させたからだ。 問題は、そこから生まれた宗教組織が、人々の成長を促すものになっているかどうかである。人の組織である以上、官僚化の弊害は避けることができないとして、常に見直されなければならない。 宗教施設の役割 東日本大震災で神社や寺、教会などの宗教施設が被災者の避難場所として機能されたことから、地域の安心施設の一つとして見直されている。それらは本来、地域共同体の文化施設であり、そこに歴史が蓄積されていた。そこを拠点とした祭りなどを通して、地域の歴史が継承されていたのである。 人が成長するきっかけは人との出会いによることが多い。人は人によって育ち、育てられるのである。 高齢者が意欲的に人のため社会のために働く姿を見て、若者が啓発されるような地域づくりができないものかと思う。それが底辺からの日本の再建になるだろう。
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