大地を愛し、大地に生きる
去る四月九日、皇居・生物学研究所前の苗代に、天皇陛下が種もみを播かれたうるち米のニホンマサリともち米のマンゲツモチが芽を伸ばし、間もなくお田植えを迎える。昭和天皇から継承された行事で、秋に陛下が収穫された稲は、十月に伊勢神宮で斎行される神嘗祭、式年遷宮の今年は大神嘗祭に、そして十一月には宮中神嘉殿で斎行される新嘗祭に奉じられる。 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加で大きな障害になるとされる農業について安倍総理は五月十七日、成長戦略の第二弾として、「十年間で農業所得を倍増させる」と発表した。その方策は、現在、約四千五百億円の輸出額を二〇二〇年までに一兆円規模に増やし、生産・加工・流通を一貫させ、耕作放棄地など農地を集約して大規模化し、生産性を高めることである。これらは既に論じられたことばかりで、問題は実行するかどうかだ。
原点回帰の思想 有名な合唱曲「大地讃頌」(作詞・大木惇夫、作曲・佐藤眞)では、次のように歌う。「母なる大地のふところに 我ら人の子の喜びはある/大地を愛せよ 大地に生きる人の子ら その立つ土に感謝せよ……」 内村鑑三は『後世への最大遺物』で、失敗続きの自らの生涯を振り返りながら、「私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望が起ってくる」と若者たちに語っている。 グローバル化が日本の農業を危機に陥れているのも事実だが、それをチャンスとして生き残りに成功している事例もある。石川県羽咋市の限界集落・神子原(みこはら)では、山奥のきれいな水で作った米のオーナーになるよう世界に呼び掛け、海外のメディアが取り上げたことで評判になり、四十組の募集に百組以上が応募したという。また、神子原にちなんでローマ教皇に献上したことも話題を呼び、注文が殺到するようになった。まさにピンチをチャンスにしたのである。 もちろん、そうした成功例はごく一部で、農家の多くは後継者不足に悩んでいる。働きに見合う収入が得られないからで、同じことは林業や水産業、高齢者介護などの分野で言える。しかし、こうした後れた分野にこそ成長のチャンスはあり、それをうまくガイドするのが政治の役割であろう。 問題は、単なる経済のレベルにとどまらず、日本人の幸せな生き方として、選択され定着することであろう。それが、日本人としての自信と誇りを取り戻すことにもつながる。 東日本大震災から二年の今年、出雲大社では六十年ぶりの「平成の大遷宮」が、伊勢神宮では二十年ぶりの式年遷宮が、それぞれクライマックスを迎える。これらに共通しているのは「原点回帰」の思想で、危機に直面した日本人が、いつもこれで乗り越えてきた。原点に返ることで、何のために生まれてきたのか、本来の使命を思い出し、その達成に集中するよう、生き方を変えることができるからだ。
緑の深まりを 宗教とは「もとの教え」という意味の通り、複雑化した社会の中で、本来のシンプルな生き方を教えるものではないだろうか。時折、そこに立ち返ることで活力を回復し、複雑な問題にも意欲的に立ち向かうことができる。人は日々、その往復を繰り返している。 大まかな言い方を許していただければ、多くの宗教に共通しているのは、目の前の現実に真面目に取り組むよう教えていることである。いわば人間としての倫理・道徳であり、それを説かずに、大きな世界観や歴史観だけを強調するのは、どこかいかがわしい。 国民のために祈っておられる天皇陛下が、日本という国が始まって以来の生き方を示してくださる国に暮らせることは、私たちの大きな幸せと言えよう。これからの季節、苗の植わった田んぼに目をやりながら、緑の色の深まりを楽しみたい。
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