復興に力合わせ国づくり
三月十一日、福島県いわき市久之浜で斎行された東北六県神道青年協議会主催の「東日本大震災」物故者慰霊祭で、丹治正博・福島県神社庁長(福島稲荷神社宮司)は、県立福島高校に福岡県の太宰府天満宮(西高辻信良宮司)から梅の若木が五本、贈られたことを紹介した。東日本大震災の年に同校に入学し、仮設の校舎で三年間学んで卒業していく生徒のために、同校の校章である梅の花にちなんで、梅の名所である太宰府天満宮に寄贈を依頼したところ、特別の配慮で実現したという。 同日、いわき市の久之浜第一小学校では、千年生きるとされる「エドヒガンザクラ」の植樹が、生徒たちの手で行われた。全国のアーティストや建築家などでつくる「桜3・11学校プロジェクト」から寄贈されたもの。東北の被災地にも梅に続いて桜が花を咲かせる季節が訪れている。
心をひとつにして 十一日、東京・千代田区の国立劇場で行われた政府主催の「東日本大震災三周年追悼式」で天皇陛下は、「被災した人々の上には、今も様々な苦労があることと察しています。この人々の健康が守られ、どうか、希望を失うことなく、これからを過ごしていかれるよう、永きにわたって国民皆が心をひとつにして寄り添っていくことが大切と思います。そして、この大震災の記憶を決して忘れることなく子孫に伝え、防災に対する心がけを育み、安全な国土を築くことを目指して、進んでいくことを期待しています」とお言葉を述べられた。 安倍晋三首相は、「復興をさらに加速し、被災者の方々が一日も早く、普通の生活に戻られるようにすることが、天国で、わたしたちを見守っている犠牲者のみ霊に報いる道です。同時に、大地震の試練から、われわれが得た貴重な教訓を、しっかりと胸に刻み、将来のさまざまな災害から、国民の生命・身体・財産を守り抜くため、倦まず、たゆまず、災害に強い強靱な国造りを進めていくことをお誓いいたします」と式辞を述べた。 同日、福島市で開かれた県の追悼復興祈念式で、いわき市久之浜町の高木京子さん(62)は、遺族の思いを「生きていることが当たり前ではないことを決して忘れないよう、語り継いでいく」と語った。亡くなった夫の芳夫さんはいわき市議で、住民の安否確認に追われるなか津波に呑まれたという。悩むたびに「あなたならどうする」と芳夫さんに尋ねてきたという京子さんは、参加した遺族たちに「疲れた時は休みましょう。泣きたい時は泣きましょう。笑いたい時は笑いましょう。私たちは亡くなった人の分まで生きていかなければならないのだから」と呼び掛けていた。(福島民報三月十二日号) 防災緑地の造成工事が進んでいる久之浜に、小学生がドングリから育てた苗木が来秋、植樹されるという。久之浜で拾ったコナラのドングリを、久之浜や福島県の山間部の小学校の生徒が苗に育てている。ドングリを育てながら、自然界における海と山の交流や防災について学んでいるのである。 同日、久之浜の防波堤では強風の中、長野県の松本第一高校の生徒たちが、被災者の男性から体験談を聞いていた。総合的な学習の時間の授業で大型バス二台でやって来たという。大震災の記憶は、様々な取り組みを通し、防災の教訓として、これからの日本に生かされていかなければならない。
日本の明日を開く 古来から共同作業で米を育て、ふるさとをつくってきた日本人が一番力を発揮するのは、チームジャパンとしてひとつになった時である。国土強靭化でも、高い防潮堤の建造やビルの耐震化だけでなく、国民一人ひとりの心の強靭化も重要であろう。亡くなった人の分まで頑張るとの熱い思いがあれば、関東大震災後や先の大戦後のように、復興をバネにして新しい日本を建設していくことができる。 被災地における人口減少や高齢化は、考えてみれば日本各地が直面している課題でもある。東北三県の復興が日本の明日を元気にするとの思いで、一人ひとりが様々な形でかかわっていくようにしたい。
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