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平成26年10月20日号社説 |
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「同行二人」という生き方 開創千二百年を迎え、巡礼者が増えている四国八十八カ所霊場。白装束のお遍路さんが被る菅笠(すげがさ)には「同行二人(どうぎょうににん)」と書かれている。空海・弘法大師とともに歩いているという意味で、いわゆる弘法大師信仰の典型であり、空海の没後、巡礼が広がるにつれて人々の間で語られるようになったとされる。「一人で歩いていたが、気が付いたら隣にお大師さんがおられた」という感動的な体験もあったのだろう。 来年が開創千二百年の高野山では、空海は亡くなったのではなく、入定、つまり坐禅の状態で、奥之院で生き続けているとされている。生きて、人々の救いのため心を尽くしているとの信仰が、形成されてきたのである。 人間形成の道 同行二人という考えは、遠藤周作が『沈黙』などで唱えた「同伴者イエス」と通じ合うものがある。生前、遠藤は「共に苦しみ、共に悲しんでくれる存在、こちらが裏切っても、裏切った自分を愛し続けてくれる存在が『同伴者としての神』です」と語っている。欧米のキリスト教では「父なる神」のイメージが強いが、それに対して「母なる神」の側面を強調したのだろう。 一神教でいう神は人間から遠い存在のイメージが強いが、日本人は伝統的に神を身近な存在としてとらえてきた。だからいろいろな神がいて、多神教の構造をしているのだが、一神教と対立するものでもないだろう。 空海の足跡をたどると、都の大学での学問をやめ、四国などの山野で修行したのは、日本の自然に基づいた山岳信仰に引かれたからである。そこで、断片的に入ってきていた雑密を学び、「大日経」を知って、密教を本格的に学ぶため唐への留学を決意した。 大日如来は宇宙の実相を仏格化した根本仏で、日本に入ると太陽神の天照大神と習合される。そうした神仏習合に決定的な役割を果たしたのが、空海が持ち帰った密教である。密教によって日本人の伝統的な信仰が、仏教という世界宗教と融合し、さらに魅力的な教えとなって人々の間に広まったのである。鎌倉以降の仏教の庶民への浸透にも、空海は大きな役割を果たしている。 修行僧によって始められた四国遍路は、江戸時代になって庶民の信仰観光になる。そして、いつからか阿波(徳島)は「発心」の、土佐(高知)は「修行」の、伊予(愛媛)は「菩提」の、讃岐(香川)は「涅槃」の道場とされたのは、人間形成になぞらえたからだろう。四つの県の自然環境も、ほぼそれに沿ったものになっている。霊場は山の中から農村、街中までいろいろな暮らしの場にあり、日本人の暮らしを歴史的に体験できる道程にもなっている。 歩くことにより自分自身を見つめ、お接待など人との出会いや自然と触れ合った気付きにより、自分の成長を感じていたのである。大人が自分を育てる方法として、見直されてもいい。 四国遍路だけでなく西国観音霊場巡りなど、日本には各地に信仰に基づいた霊場巡りの歴史があり、神仏霊場巡拝の道のように新しく創造されてもいる。意味のある観光として、地方創生にも生かすことができよう。 自分を見ている自分 人類は直立歩行をするようになって声帯が下がり、複雑な言語を発することができるようになったとされる。アフリカら世界に出たホモ・サピエンスがクロマニヨン人などに負けなかった大きな理由は、コミュニケーションによる協力にあるという。 同行二人になぞらえると、特に信仰がなくても、自分を見ている自分がいるという感覚は誰にでもあり、その意味では私たちは生まれながらにして同行二人なのである。つまり、私たちは自分と対話しながら、他者との交流の中で暮らしている。そうした自分の在り方を、シンプルな形で見せてくれるのが、特に歩き遍路の良さなのだろう。宗教をはじめ各地の文化が持っている人づくり、人育ての経験を今に生かす知恵が求められている。
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