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平成23年5月20日号[天地] |
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広島県呉市にある「音戸の瀬戸」は、本州と倉橋島(音戸町)の間に存在する海峡のことで、平清盛が平安時代の一一六七年に開削したとされる。日宋貿易の航路を開くためだ。幅は九十メートルしかなく、日本一短い海上定期航路(音戸渡船)が、音戸大橋の架かった今も就航している▼一日で工事を完了させるために、清盛が扇で夕日を招き返したという伝説がある。昭和四十二年に開削八百周年を記念して、立烏帽子に直垂姿の清盛が西に向って扇をかざして立つ姿の銅像「日招像」が、「音戸の瀬戸公園」の高烏山麓に建立された▼五月六日に訪れると、音戸大橋の本土側は、色とりどりのツツジが満開だった。橋を見下ろす高台に、「新平家物語」の史跡取材のため昭和二十五年に当地を訪れた吉川英治が、倉橋島にある清盛塚に向けて残した「君よ 今昔之感 如何 英治生」の文学碑がある▼市内に帰り、実物の十分の一の戦艦大和の模型がある呉市海事歴史科学館「大和ミュージアム」を訪ねた。奇跡の戦後復興を遂げた日本経済には、戦艦大和の製造技術が生かされている。例えば、ブロックごとに製造して組み立てる方法は、製造期間の短縮を可能にし、自動車生産などに導入された。当時、最先端の製造法を学ぶため、米国からも技術者が来たくらいだという。人と技術があるから、大震災後の日本も復興できる。
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