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平成25年11月5日号[天地] |
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京都市山科区四ノ宮にある一燈園の「秋の集い」の後、弦楽器の祖とされる人康(さねやす)親王の史跡を歩いた。そもそも四ノ宮の地名が、仁明(にんみょう)天皇の第四皇子だった親王にちなんだものとの説もある▼八三一年に生まれた人康親王は二十八歳で失明して出家、山科の諸羽山の麓に隠棲した。親王は琵琶の名手で、いつも琵琶を爪弾いて自ら慰めていたという▼当時、峠を越えた大津には、円珍が再興した三井寺(園城寺)があった。円珍は空海の甥の子で、後に第五代天台座主になる。天台宗は天皇家とかかわりが深く、三井寺の僧たちも出家した人康親王をよく訪ねていたという▼そこで、盲目の僧たちが唱える声明に親王が琵琶を合わせたり、親王が僧らに琵琶を教えたりしている中から、琵琶を弾きながら物語をする琵琶法師が生まれてきたとされる▼京阪電鉄四宮駅の近くに小さな祠があり、石の台座に「琵琶琴元祖四宮大明神」と刻まれていた。少し西に歩くと人康親王宮内庁墓がある。近くの山科地蔵徳林庵は、人康親王を先祖とする禅僧が南禅寺を隠居して建立した寺で、親王の供養塔が建っていた。少し北に行くと、人康親王の山荘跡とされる諸羽神社がある。境内に、親王が座って琵琶を弾いたという琵琶石があった。一燈園で聞いた琵琶の音がよみがえってきた。
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